
いくら英語を勉強しても「難しい」「終わりが見えない」と感じるのはなぜなのだろうか。
カナダで留学中によくそう思ったし、周りにも同じように言う人が多くいたし、帰国してもそう言う人がたくさんいる。
英語学習の「始まり」と「終わり」が見えないまま英語を勉強するのは遠回りだと留学を終えて思った。
目次
英語の勉強が難しいと感じるのは終わりが見えないから
カナダ・バンクーバーでワーホリ留学を始めて語学学校(ESL)に通っていた時、
自分は前は別の学校に通っていたので、この学校が2校目or3校目になる
と言うクラスメートに度々出会った。
それは、ワーホリ(語学留学)をする人のほとんどは、
①1校目を卒業したところで多少資金に余裕のある人は別の学校に「転校」するか、
②余裕のない人は英語力を問われない日本食レストラン(もしくは韓国人の場合はコリアンレストラン)で手っ取り早く仕事を得るという、
その後はほぼ限られた2パターンの道しかない
私は生徒の90%が日本人か韓国人の語学学校(ESL)に通っていた。
パンフレットの写真では、世界各国からの留学生が一緒に勉強しているような印象を受けたが、行ってみたら全然違った。 これは何も私が通っていた学校に限られる話ではなく、「日本人がワーホリや留学でよく行くような都市」であれば世界中どこでも同じような状況らしい。
「学校に通っても英語が伸びていないという現実」について他の人は一体どう思っているのだろう?と思い、クラスメートに聞いてみたところ、
数ヶ月学校に通ったところでペラペラになるなんて無理だからね~。
(=だからそんなこと最初から期待してない)
という答えが返ってきた。
・・ペラペラになるのが無理だと思いながらも、なぜ通うのか。
答えは「もうお金を払ってしまっているし、みんなが通っているから」。
実際自分もそうだったし、それ以外に理由はないように思った。
けど授業中もペラペラ喋る南米やヨーロッパ、メキシコなどからの留学生とは仲良くなれない。
学校の「外」で出会うネイティブともまるで話が続かない。
続かないどころか、見下されたような態度を取られたり、
カフェで注文していても、なぜか冷たくあしらわれたり・・。
学校に3ヶ月通った後は英語を使う仕事がしたい
と思っていたのだが、勇気を出して挑戦した無給のボランティアでさえ、英語力が足りずにすぐクビになった。
海外で語学学校に通って英語を勉強しても、内容自体は日本の学校の英語の授業と変わらない。
クラスメートが10~15人もいる①グループレッスンだから授業内で話すチャンスはなかなかなく、大半の時間は先生の講義を②リスニングし、教材を使って③単語や文法を暗記する「①+②+③=日本式の英語の勉強」で、違うのは授業が全て英語で進むということくらいだった。

だから3ヶ月やそれ以上学校に通っても、英語が「思ったほど話せない」と悩んでいる人にたくさん出会った。
「海外で英語を勉強しても話せるようにならないなんて信じられない」と思う人は、ぜひ「ワーホリ 失敗」や「留学 失敗」でググってみてほしい。
カナダで知った英語学習の「始まり」と「終わり」
学校に通っていた3ヶ月間は、毎日朝から夕方まで教室で英語を勉強し、さらに放課後や週末までも図書館に行ったりして、英語を勉強していた。
それなのに「英語を話せている」という気がせず悩んでいたところ、知り合いから「マンツーマンで英語を教えている先生がいる」と聞き、そのレッスンを受けるようになった。
英語学習の「始まり」と「終わり」を初めて考えた
ある日のレッスンで、

英語学習の、どこが「始まり」でどこが「終わり」なのか、知っていますか?
「始まり」も「終わり」も見えない「日本式英語学習」
日本人の多くは、これまでに最低でも6年間、英語を「勉強」し続けてきたことと思う。
中学入学時から
それが長らく続く日本の「伝統」になっている。
何年間も単語と文法を暗記し続けた結果、
そう言う自分も
- 日本で6年間(大学での教養課程を含めれば厳密にはそれ以上になるが)英語を「勉強」してカナダに行き、
- カナダでも語学学校に通って「日本式の英語学習(=単語と文法の暗記)」をくり返し、
- その上、学校の中だけでなく放課後や週末も使って毎日英語を「勉強」していた
にも関わらず、3ヶ月が経っても自分には「単語力がある」とも、「文法が得意」だとも、「英語が話せている」とも、全然思えなかった。
当時の私には、英語の「始まり」がどこで、どこが「終わり」なのかも、全く見えていなかった。
英語の勉強は「終わり」にすることができた理由
例えばそれまで私はずっと、
でも実は、教科書や参考書を使って理解しようとしていたからかえって難しくなっていたと、今となっては思う。
(日本語とは違って)英語の文法では、動詞の形、「原型」か「be + ing」か、「時制」が入るかどうかなどによって、長ったらしい説明など不要で意味がパズルのようにピタッと決まってくるのに、それが教科書や参考書では1つ1つ、長々とした説明が書いてあるものだから、かえって混乱していた。
どれだけの文法パターンを暗記しようと、意味が理解できていないから、結局のところ使えてはいなかった。
でももし意味が「本当に理解できた」なら、それはその瞬間から自信をもって使っていけるようになるということを、私はカナダで受けたマンツーマンレッスンを通して知った。
もちろん「私は英語を勉強しています」と言いたいとき、その場のフィーリングで適当に言ったりすることも、なくなった。
動詞が
主張したいことが全然違うということが、よくわかるようになったから。
私がカナダでワーホリ留学中にマンツーマンレッスンで英語を習った先生は、オーストラリアのメルボルン大学でLinguistic Science(言語教育科学)という学問を修め、言語学の2つの学位を取得した英語学習の専門家で、
①Applied Linguistic Science with the specialty of Methodology of Teaching Foreigner Languages (応用言語教育科学 外国語教育方法論):母国語と同等か、それに近いレベルに短期間で外国語でも到達するための教育法。 ②Psycho-Linguistic(心理言語学):人がとくに新しい言語を習得する際の心理的葛藤(カルチャーショックやホームシックなど)や、言語の認知処理等、言語と心理的な側面を結びつきを研究する学問。 |
大学で学んだことを基に、通常はカナダやアメリカなどの主に多民族国家で、子どもを対象に行われているイマージョン・プログラム(Wikipedia)を応用して「大人が短期間で外国語を習得するための学習法」を開発し、教えている。
だからこの英語の勉強の仕方は、先生のレッスン以外では学ぶことができず、レッスンは「暗記なし・教材なし・宿題なし」で英語を「経験」して「慣れ」ながらスピーキングを伸ばすことにフォーカスした内容になっていた。
- 英語の「暗記」ではなく「話すこと」を重視した英語学習プログラム」
と
- ワーキングホリデーや留学の「サポート」
が1つになった『留学エージェント』をカナダに設立。
当時は先生が1人で教えていたが、今は複数の先生方がいて、カナダ(バンクーバー)だけでなく、オーストラリア(シドニー)やフィリピン(セブ島)での「現地レッスン」、さらにSkypeを使って世界中どこからでもレッスンが受けられるようになっている。
また先生自身は英語・日本語・中国語・スペイン語・ロシア語・ポーランド語の6カ国語を話すマルチリンガルで、母国語である英語以外はすべて自身が確立した学習法を使って習得したということだった。
大学時代に「文部科学省奨学金留学生」として筑波大学で交換留学していたこともあるため、日本の文化にもかなり詳しく、大学卒業後に早稲田大学や東京外国語大学で言語教育の講演をしたこともあるらしい。

帰国後出会った「元ワーホリメーカー」の言葉
帰国後、
ワーホリや留学して英語を勉強したし、今もしているのになかなか話せるようにならない
と日本人の友達から聞くたびに思うことがある。
どうも日本人は
誰もが口を揃えて、
自分は単語を知らないから(英語が話せない) or 自分は文法を知らないから(英語が話せない) |
↓
けど、ここで少し考えてみてほしい。
日本人が
日常で日本語の難しい単語を使って会話をしているからだろうか?
それとも「日本語の文法」を完璧に理解しているからなのだろうか??
私が思うに、
単語を知らないから/文法を知らないから→英語が話せない
と考える限り、英語は難しくなるにきまっている。
英語を「勉強」する期間が長ければ長いほど(それを理解しているかどうか、そしてそれを使えることができるかどうかは別として)、たしかに頭の中の英語の「知識(単語と文法)の量」は増えていくかもしれない。
でもそれだけではいつまでたっても英語は話せるようにはならない。
「文化」も
人々の考え方や価値観・行動パターン・ライフスタイル・人と人との関係性など。
ネイティブみたいに自然で大人っぽい英語を話すための「英語の話しことば」
世界中のどの言語にも共通して存在しているが、教科書にも辞書にも書いてなく、学校や親から教えられることもない。こどもから大人へと成長する過程で、周囲の人々の会話を見聞きする中で自然に学び、いつのまにか意識することもなくしている「話し方のパターン」のこと。
例えば次に何を言うべきか考えながら日本語で「ええと・・」と言ったりするが、英語でも同様に「 Well..」と言ったりする。
もなく、「単語」と「文法」の知識だけがあっても、英語は一生かけても話せるようになるのは・・なかなか難しい。
だってもし「単語」と「文法」の知識さえあれば話せるようになるのであれば、私も含めて日本で「伝統的な英語教育(=単語と文法をとにかく暗記)」を受けたすべての人たちは、高校を卒業する頃には英語ペラペラになってるはず。
でも現実は、私が中学と高校で英語を教わった「英語教師」たち、中学と高校だけでなく、大学でもみっちり英語を「勉強」して、かつ大学卒業後も授業のために英語の知識を蓄え続けていたはずの彼らでさえ、英語が話せなかった・・。
まとめ
私は
(日本語でも言い間違えたり、聞き違えたり、読み間違いや書き間違いをするように)
英語でも言い間違えたり、聞き違えたり、読み間違いや書き間違いをするし、
(自分の日本語が完璧だなんて思ったことがないように)
自分の英語が完璧だと思ったことも一度もないが、
でも今の自分に英語の「勉強」が必要だとは思わない。
単語帳をめくったり、文法書を読んだり、英語学習動画を見たりすることが自分に必要だとは・・思わない。
「終わり」が見えないものではあったはずの英語の「勉強」が、
気がついたらいつの間にか、
完全に
突然のコメント失礼致します。
小と申します。
加奈様にご相談させて頂きたいことがあり、ご連絡致しました。
一度メールにてご返信いただくことは可能でしょうか?
ご返信お待ちしております。何卒宜しくお願い致します。
小さん(お名前は伏せさせていただきました)へ
はじめまして、コメントありがとうございました。
一旦ご相談内容を記載の上ご連絡をいただいてもよろしいでしょうか。
(詳細に記載いただく必要はございません)。
どうぞ宜しくお願い致します。
加奈