カナダのバンクーバーでワーホリしていた当初、私は語学学校に通っていて、そこで出会った多くの韓国人と友達になった。(クラスメイトの大半は日本人か韓国人だった。)
時々は南米やヨーロッパやメキシコからの留学生と同じクラスになることもあったが、しかし彼らとは一人も友達になれなかった。
なぜなら「授業中でも遠慮なくペラペラ話す彼ら」に私は圧倒されていたから。
私にとってカナダで生活を始めて数ヶ月経っても、日本の「遠慮して聞かない文化(考え方や価値観・行動パターンなどのこと)」から抜け出せすのは難しいことだった。
質問したい、でも遠慮して聞かない
バンクーバーで3ヶ月語学学校(ESL)に通ったものの、「英語が話せている」という気がせず、その後知り合いから聞いて受けるようになったマンツーマンレッスンでも、質問があるのに遠慮してその場で聞かない、ということをしていた。
その日レッスンの終わりに、先生がスマホの時計を見ながら

私は質問はあるにはあったのだが、しかしもうレッスンが終わる時間がきているので、
今は聞くべきじゃないだろうな。
また後から先生にtext送って(カナダでは携帯専用のアドレスというものはなく、携帯の番号のみでメッセージがやり取りできる。日本で言うショートメッセージのようなもの。それをtext messageと呼ぶ)聞けばいいか。
と思い、

しかし先生は


そうしたら、

ここは日本ではなくカナダなのですから、質問がある時にはその都度聞いていいんですよ。
私がカナダでワーホリ中にマンツーマンレッスンで英語を習った先生は、オーストラリアのメルボルン大学でLinguistic Science(言語教育科学)という学問を修め、言語学の2つの学位を取得した英語学習の専門家で、
①Applied Linguistic Science with the specialty of Methodology of Teaching Foreigner Languages (応用言語教育科学 外国語教育方法論):母国語と同等か、それに近いレベルに短期間で外国語でも到達するための教育法。 ②Psycho-Linguistic(心理言語学):人がとくに新しい言語を習得する際の心理的葛藤(カルチャーショックやホームシックなど)や、言語の認知処理等、言語と心理的な側面を結びつきを研究する学問。 |
大学で学んだことを基に、通常は子どもを対象としてカナダやアメリカなどの主に多民族国家で広く行われているイマージョン・プログラム(Wikipedia:イマージョン・プログラム)を応用して「大人が短期間で外国語を習得するための学習法」を開発し、教えている。
だからこの英語の勉強の仕方は、先生のレッスン以外では学ぶことができない。
先生は英語・日本語・中国語・スペイン語・ロシア語・ポーランド語の6カ国語を話すマルチリンガルで、母国語である英語以外はすべて自身が確立した学習法を使って習得したとのことだった。

そこで南米やヨーロッパから来たクラスメイト達は、授業中にもバンバン発言していませんでしたか?

で、私はそういう彼らに圧倒されて、アジア人の留学生としか仲良くなれなかったです・・
私が通っていたバンクーバーの語学学校(ESL)は、生徒の90%を日本人と韓国人が占める学校だったのだが、たしかに日本人や韓国人と、それ以外の国からの留学生では、授業中の発言量に大きな差があった。そしてその差は、母国での教育スタイルの違いに起因していることがわかった。

いつもいつも「質問はない」と言われると、教える側からすると、授業が面白くなかったのか、興味がないのか、もしくは理解できなかったのではないだろうか・・と思うのです。
人々の考え方や価値観・行動パターン・ライフスタイル・人と人との関係性のこと。

日本の学校では、授業中とにかく静かにしていることが大事で、逆に積極的に質問したりすると目立つので、授業がわかろうがわかるまいが「黙って授業を聞くのが普通」なんですが、それをここ(カナダ)でも続けていると誤解されることがある、ということですね。
これも日本的だと言われてしまうかもしれませんが、私は「授業が終わった、質問はあるけどこれ以上先生を煩わせるのはよくない」と思って聞きたいことがあっても遠慮することもあります。
でもここでは、そんな遠慮をしても、誰も私のことをpolite(礼儀正しい)とは思ってくれない、ということですね。。。
と言うと、先生は、

日本の「礼儀正しさ」とカナダの「礼儀正しさ」とは異なります。
日本では「人が話しているときは黙って、邪魔しない、質問もしない=礼儀正しさ」になるかもしれませんが、カナダでは「興味があればどんどん質問すること=礼儀正しさ」になるのです。
何より、様々な国の人たちが共存して暮らしているバンクーバーのような場所では、まず自分が思っていることは言葉にしないと伝わらないのです。
・・まあ私個人的には、日本の「以心伝心」も捨てがたいのですけどね。
と言って、それからはしばらく私の質問に対する返答や、日本とカナダの文化の違いについての話になった。
結局その日のレッスンは、当初終わるはずだった時間をだいぶ過ぎて、次の生徒が来るまで続いた。
私がカナダで受けていたマンツーマンの英語レッスンは、私がワーホリしていた5年ほど前には先生が一人だけで教えていたが、今は先生の他にも複数の先生方がいる。
またレッスンは、教室のような閉ざされた空間ではなく、いつもダウンタウンのカフェで、すぐそばに現地の人たちがフツ〜に座っているような環境で行われていた。

日本の授業では発言×、海外では違った
自分が日本で学生だったときのことを考えてみると、小学校から大学まで通して、授業中に先生に質問をしたことなんて、全部で何回あったんだろうか・・と思う。
(小学校低学年の頃とかはもうさすがによく憶えていないけれど)たぶん質問したことがあったとしても、数えるほどしかない気がする。
小・中・高・大の16年間を通して、数回・・・。
だって日本では、授業は黙って聞くのが「当たり前」だったし、クラスメイトの前で変な質問をして笑われたら恥ずかしいと思っていたし、そもそも日本では小学校から大学を通して、授業中に質問すること自体が(先生にもよるけれど)あまり歓迎されていなかったような気がする。
時々「何か質問がありますか?」と聞く先生もいたけれど、やっぱりみんなの前で質問するのはハズカシイから、授業が終わった後、先生のところまでわざわざ行って聞いたことはあるけれど。
カナダでワーホリを始めて、私は語学学校(ESL)に通ったが、そこでも、南米やヨーロッパや、またはメキシコからの留学生が授業中でもしゃべりまくっているのを見ると、私はますます話せなくなった。
彼らと仲良くなりたいなとも思う反面、文法がめちゃくちゃだろうが発音が明らかにおかしかろうが、そんなこと気にもしていない彼らに、私は完全に気後れしてしまっていた。
そして「あんなに自由に話せていいな~」と思う反面、「何で授業中なのにもっと静かに先生の話を聞けないの?」と思うことも、あった。
その点、日本人と、韓国人のクラスメイトには(彼らも日本人と同様に黙って授業を聞いている方だから)、ずっと親近感をもてた。
学校に通っているとき、そんな留学生間の「授業を受ける姿勢の違い」を指摘する先生は、いなかったし、私もそれが教育の違いや文化の違いからきているとは思っていなかった。
それまでは、南米やヨーロッパやメキシコなどで使われている言語は、英語と似ている(起源がラテン語にあって、似ている単語や発音が多くあったりする)し、日本や韓国に比べれば英語を話す機会も日常生活の中に多くあって、それできっとみんな英語が話せるんだろう・・と思っていた。
日本でも韓国でもなくて、カナダにいるのに、「何で授業中なのにもっと静かに先生の話を聞けないの?=授業中はずっと黙って聞いているのが正しい」と思っていた自分。
自分が慣れている「日本での文化(=授業は黙って受けるもの!)」こそが正しくて、「日本とは違う文化(=授業中の積極的な発言や質問が歓迎される)」は頑として受け入れられなかった当時の自分を思いだすと、今でもちょっとハズカシイ〜気持ちになる。
何か質問はありますか?