
外国人の持つ日本人イメージにカナダで困惑したこと。
バンクーバーでワーホリ中、現地の友達ができるようになった頃、一緒に遊びに行ったり何か計画を立てるとき、彼らのドタキャンの多さに戸惑うことがよくあった。
これは、そんなカナダ人の「文化(人々の考え方や価値観・行動パターン)」を、日本人である私がカナダでした時の話。
外国人の持つ日本人イメージにカナダで困惑
日本にいた時、ドタキャンは「あまり好ましいことではなく、避けるべきこと」だと私は思っていた。
が、バンクーバーでは例えば数人で「どこかに遊びに行こう」と計画していると、だいたい何人かはドタキャンして来て、しかも時にはその連絡すらもなく、悪びれる様子もない・・という人が結構いた。
中華ディナーに行こう!
という話を前々からしていた。
でも当日の昼ぐらいから私は風邪っぽくて、
今日ちょっと体調がよくないから欠席するね
というメッセージを送った。
つまり、ドタキャンをした。
後から聞いたところによると、「参加する」と言っていた人それぞれが友達を誘ったりしていて、人数は当初の計画よりずっと多くなっていたらしい。
日本だとあまりピンとこないかもしれないが、カナダの文化ではこのようにして友達が友達を紹介しあうのが普通に行われる。
そのため、一人友達ができると、雪だるま式に友達が増えて行く・・という現象が起こる。
でも私の他に誘われていた日本人は全員参加した、ということだった。
カナダ人から「ドタキャンするなんて日本人らしくない」
さて1週間後、そのディナーに「参加した人」数人と、私を含む「直前でキャンセルした人」数人とで、一緒に出かけたときのこと。
共通の友達を介して前に一度だけ会ったことがあり、ほんの少し話をしたことがあるくらいの、顔見知りのカナダ人(私はその人もそのティナーに誘われていたとは知らなかった)が、私の顔を見るやいなやこう言ってきた。
あ、Cana! 元気?
こないだのディナー来てなかったね。びっくりしたよ。Canaがディナーをドタキャンするとは思わなかった。
だって君、日本人でしょう?
と。
そこには私の他にもドタキャンした人がいたのだが、その人は私だけにそう言ってきた。
私が

う~ん。いや、そんなことはないけど・・・。でも日本人がドタキャンするとは思わなかった。
とのこと。また
僕は日本人の友達が何人かいるが、彼らがドタキャンするのを見たことがない
とも言っていた。(どの程度深い付き合いをしているのかは聞かなかったが。)
私はそれを聞いて、彼の中では日本人はどのような状況であれドタキャンをしないはずであり、たとえ私もその人も、2人ともカナダにいて英語で会話をしていようが、私は常に日本の文化の中にいることを期待されているのだなあ・・と思った。
人々の考え方や価値観・行動パターン・ライフスタイル・人と人との関係性のこと。
もちろんその痴漢男とは違って、このカナダ人男性には、とくに悪気があってそう言っているのではないことはわかったけれど。
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でも私が「日本人だから」という理由だけで、体調が悪くて友達同士でのディナーの予定をドタキャンしたら非難されるというのは・・何だか納得いかない。そんな風に、彼にとっての「あるべき日本人のイメージ」を押し付けられても、困るなぁ・・と思った。
なので、

日本人だから一律にこう・・ではなく、日本人だって一人ひとり違うんだよ〜
カナダで日本の「文化」の中に…いなくてもいい
他のアジア人留学生の女性と比べても、バンクーバーで一番セクハラの被害にあっているのは日本人女性だと以前書いた。
今やネットを通して世界中に広まっている成人向けコンテンツによって、「日本人女性は道で声をかければ簡単についていく」、「日本人女性は従順だから痴漢やセクハラを受けても文句を言わない」といった、彼らにとって都合のいい日本人女性のイメージを持っている人が、現実に多数存在する。
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まとめ
私は道端で知らない人に声をかけられても相手にしないし、
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直前に体調が悪くなればドタキャンだってする。それが彼らが期待する「日本人のイメージ」、彼らにとっての「理想的な日本人女性のイメージ」に反しているからといって、非難される覚えはない。
「日本の文化」だけに固執するのではなく、「カナダ(英語)の文化」だけに固執するのでもなく、状況に応じて文化を使い分けることができるようになること。
あなたが言っているのはつまり・・カナダ人ならドタキャンしてもいいけど、日本人の私がドタキャンをするのはダメっていうこと?