
留学で言語を習得するということはその国の言語・文化を理解しそれに合った言動ができるようになるということ。(文化とは人々の考え方・行動・人と人との関係性のことなど)
それは言語ごとに別の性格(キャラクター)を持つこととも言える。
留学で言語を習得するには?
私がどれだけ英語が話せたとしても、根底にあるのは自分の母国語である日本語の文化の中で、20年以上かけて培われた「日本人としての私」であり、それはこれから先、たとえ何十年か「日本ではない国」で生活したとしても、日本の文化を完全に忘れることはない、というかできないだろうと思う。
だから言語を習得するということは、言語がもつ「文化」に合わせて自分を微調整するというか、その言語に合わせて少しずつ違うキャラクター(性格)を持つこと、とも言える。
カナダ・バンクーバーでワーホリ留学をしていた時、はじめ語学学校(ESL)に通っていたのだが3ヶ月過ぎようというのに英語が上達しているという実感がなく、悩んでいたところ、知り合いから「マンツーマンで英語を教えている先生がいる」と聞き、そのレッスンを受けるようになった。
そこで、カナダの・英語の「文化」を学ぶことができた。
けど授業中もペラペラ喋る南米やヨーロッパ、メキシコなどからの留学生とは仲良くなれない。
学校の「外」で出会うネイティブともまるで話が続かない。
続かないどころか、見下されたような態度を取られたり、
カフェで注文していても、なぜか冷たくあしらわれたり・・。
学校に3ヶ月通った後は英語を使う仕事がしたい
と思っていたのだが、勇気を出して挑戦した無給のボランティアでさえ、英語力が足りずにすぐクビになった。
海外で語学学校に通って英語を勉強しても、内容自体は日本の学校の英語の授業と変わらない。
クラスメートが10~15人もいる①グループレッスンだから授業内で話すチャンスはなかなかなく、大半の時間は先生の講義を②リスニングし、教材を使って③単語や文法を暗記する「①+②+③=日本式の英語の勉強」で、違うのは授業が全て英語で進むということくらいだった。

だから3ヶ月やそれ以上学校に通っても、英語が「思ったほど話せない」と悩んでいる人にたくさん出会った。
「海外で英語を勉強しても話せるようにならないなんて信じられない」と思う人は、ぜひ「ワーホリ 失敗」や「留学 失敗」でググってみてほしい。
日本語の文化は礼儀正しさ、英語の文化はフレンドリーさが重要
そのマンツーマンレッスンでは、

始めは「言語によって違うキャラクターを持つ」ということがよくわからなかったのだが、今はわかる。
複数のキャラクターをもつとはどういうことかというと、たとえば日本語を話している時には大人しくて礼儀正しい(少なくともそのつもり)性格でも、(英語の文化ではフレンドリーであることの方が重要なので)英語で話すときには日本語で話す時よりもっとオープンでフレンドリーな自分を感じる、ということ。
Canaはフレンドリーだよね。小さい頃からずっとそうだったの?
と聞かれたことが何度かあり、

・・というか、私はカナダに行くまで人からそんな風に言われたことなかった気がする。
また日本から友達がバンクーバーに遊びに来た時には、
Canaは何だか英語で話しているときの方がイキイキしていて、口数が多いし、オープンだね
と言われた。
英語を話す時と日本語を話す時のキャラの違い
カナダにいようが日本人と英語で話すのは気持ち悪い、恥ずかしい
と言う日本人がいる一方で、
相手が日本人でも、自分は英語が話せるようになりたくてカナダに来たのだから英語でしか話したくない
と言う人もおり、私の友達の1人が後者だったので、いつも英語で話していた。
なんか感じ違う!
と思った。
声の調子(英語だと少し低くなる?)も違えば、英語では話したことがないようなこと(出身大学とか)を話した、というのもあるかもしれないが、
その子の違う一面を見た、という気がした。
そしてその友達からも
Canaは何か英語で話すときと感じが違うね。英語の方がとっつきやすいっていうか、英語の方がしゃべるね!
と言われた。(まあ私はもともと多弁な方ではないので、それも時と場合、気分にもよるが。)
留学しながら文化を学ぶということ
日本語を話すときには、日本語の「文化」の中で考えたり行動し、英語を話すときには、英語の「文化」の中で考えたり行動すること。
だけど全てが全て、カナダの・英語の「文化」を理解し、それに合った行動がすぐにできるようになったわけでは決してない。
中でも難しかったことの1つは、カナダで生活していながら、日本の「Men first(男性優位)文化」の中で考えたり行動することを止めることだった。
ここに何度か書いたことがあるが、バンクーバーでマンツーマンレッスンを受けていた時、年配のカナダ人男性からセクハラを受けたことがある。
そして先生がセクハラにどう対応すべきか、してくれたアドバイスの中で、

私はその主催者は男性だというのを知っていたので、

でもその人男の人だから、あんまり真剣には受け取ってくれないかもしれないし、講演会の外で起こったことを連絡されても迷惑かもしれないし、食事に行ったのは私が決めて行ったことなんだから私が悪いって言われそう・・。
それに変な目で見られたり、変なうわさ立てられても困りますし・・(←これが本音)
私は当時それが男性の、セクハラの訴えに対する一般的な反応だと思っていたから。
すると先生は

それは、日本でセクハラを受けた時のことを考えているのではないですか?
Canaさん、ここはカナダです。
その主催者が男性だとかは全く関係ありません。この事態はその主催者に報告すべきことです。
Canaさんが思うようなことには絶対ならないので安心してください。
私は、それを聞いてハッとした。
私はカナダでは日本よりずっと女性の権利が重視されることを知っていたとは言え、いざ問題が起こってみると、日本の「文化」の中での人々の考え方と対応の仕方しか思いつかなかった。
先生に言われて、私はその主催者にメールを書くことにしたのだが、そのメールの文面も先生から随分アドバイスをもらった。
家に帰って自分でも文章を練り直し、その日のうちに主催者にメールを送ることができた。
すると次の日の朝には返事が来ていて、
Canaへ。 知らせてくれてありがとう。 それは重大な問題だし、そんなことがあったなんて本当に残念に思います。 少し対応を考えさせてください。 今仕事に行く前なのだけれど、メールを見て取り急ぎ返信しました。 とにかく連絡してくれてありがとう。 またメールします。 |
と書いてあった。
・・先生が言っていた通り、主催者は男性だけれども、私の味方なんだ・・。
とすごくほっとしたのを覚えている。
その日もレッスンがあったので、そのことをすぐ先生に報告すると、

またそれによって自分が長年慣れ親しんできた(それ故、Men firstだと気づくことすらなかった)自分の「女性の権利」に対する考え方がガラッと変わった。
私がカナダでワーホリ留学中にマンツーマンレッスンで英語を習った先生は、オーストラリアのメルボルン大学でLinguistic Science(言語教育科学)という学問を修め、言語学の2つの学位を取得した英語学習の専門家で、
①Applied Linguistic Science with the specialty of Methodology of Teaching Foreigner Languages (応用言語教育科学 外国語教育方法論):母国語と同等か、それに近いレベルに短期間で外国語でも到達するための教育法。 ②Psycho-Linguistic(心理言語学):人がとくに新しい言語を習得する際の心理的葛藤(カルチャーショックやホームシックなど)や、言語の認知処理等、言語と心理的な側面を結びつきを研究する学問。 |
大学で学んだことを基に、通常はカナダやアメリカなどの主に多民族国家で、子どもを対象に行われているイマージョン・プログラム(Wikipedia)を応用して「大人が短期間で外国語を習得するための学習法」を開発し、教えている。
だからこの英語の勉強の仕方は、先生のレッスン以外では学ぶことができず、レッスンは「暗記なし・教材なし・宿題なし」で英語を「経験」して「慣れ」ながらスピーキングを伸ばすことにフォーカスした内容になっていた。
- 英語の「暗記」ではなく「話すこと」を重視した英語学習プログラム」
と
- ワーキングホリデーや留学の「サポート」
が1つになった『留学エージェント』をカナダに設立。
当時は先生が1人で教えていたが、今は複数の先生方がいて、カナダ(バンクーバー)だけでなく、オーストラリア(シドニー)やフィリピン(セブ島)での「現地レッスン」、さらにSkypeを使って世界中どこからでもレッスンが受けられるようになっている。
また先生自身は英語・日本語・中国語・スペイン語・ロシア語・ポーランド語の6カ国語を話すマルチリンガルで、母国語である英語以外はすべて自身が確立した学習法を使って習得したということだった。
大学時代に「文部科学省奨学金留学生」として筑波大学で交換留学していたこともあるため、日本の文化にもかなり詳しく、大学卒業後に早稲田大学や東京外国語大学で言語教育の講演をしたこともあるらしい。

まとめ
英語の「文化」を経験すれば経験するほど、自分の行動の仕方や考え方が変わる。
行動の仕方や考え方が変わるから、キャラクターも変わる。
いくら教科書を読んでも、参考書を読んでも、英語の文化を学ぶことはできない。
例えば「着物」で写真を撮るときには、両手を前で重ね、両足の先を少し内向きにするけれど、
「ドレス」で写真を撮るときには、片手を腰にあて、片足を少し曲げて肩から腰の部分にかけての曲線を出すように。
服装によってポーズが変わるように、言語によってキャラクターも違ってくる。
それが今の私にとっては「自然」である。